Sydney語学学校体験授業と初めての仕事~悔し泣き~

初めての語学学校体験レッスン

ワーホリで最初の3か月は語学学校に行って、そこで語学力を付けて仕事探しを始めるという方が周りに多かったので、ももきちもSydneyについてすぐCBDにある、トラトラさん(Sydney現地エージェント)に相談へ行きました。

何個か学校を紹介していただき、体験レッスンをして入るか決めれるという事だったので早速四校程体験レッスンを受けてみました。四校ともSydneyのCBDにある有名な学校で、受けてみた後の正直な感想として、

「これだったら学校に行かず、自分で勉強すればいいのではないか」

なぜかというと、授業でやっているのは”現在完了形”や”過去進行形”で中学校の時に授業で学んだ記憶があったからです。

語学学校に通うにはもちろん週単位で授業料を払わないといけません。授業料(1日数時間)+教科書代+入学金を考えると、自力で出来るところまでやってみてもし、必要になったら語学学校に通ってみようという結果になりました。

実はその時もう仕事が決まっていて、働きながらお客さんと会話していけば本当の生きた英語に触れ続ける事が出来るのではないかと感じたからです。

そして語学学校に通うことを辞め、まずはオーストラリアのお金だけで生活出来るようになるという目標を立てました。

それは小さな日本食レストランで、ほぼ小料理バーの様な雰囲気でした。お客さんはほぼオーストラリア人で本気で「ハロ」ーと「アサヒビール」以外の言葉が聞き取れませんでした。(よく言うオーストラリア訛りってやつですね)

初めて「グダイメイッ(Good day mate!)」を聞いたときは衝撃でした。

今では本当に理解出来るのですが、底辺レベルに英語力がないスタッフは他のスタッフにとって迷惑でしかないんですね。。。

その時はレストラン用語も何も分からず全て他のスタッフに助けてもらっていました。

その時のマネージャーが7歳下の20歳の方で、現地オーストラリアの大学に通う日本人でした。彼は現地の大学に通う程ですから、それはそれはぺらっぺらなんですよ。素晴らしい。ですがその方と全然合わなくて、その3か月後その店を辞めることにしました。

海外では年功序列などなく、能力のある人が年齢を問わず上の役職(マネージャー)になります。日本食レストランでしたが、オーナーは日本人ではない為そこは海外仕様。

そのマネージャーはスタッフに対しての対応が酷く、それが原因で何人ものスタッフが辞めていました。恐らく辞めていったスタッフ皆私と同じ理由だったと思います。そのマネージャーいじめが大好きだったんです…週や月ごとに対象となるスタッフは変わっていました。そして私の番…まともに英語で接客が出来ない私は格好の標的ですね。

オーナーがとてもそのマネージャーを評価しており、海外に来てまで無駄なストレスを作りたくなかった私は新しい職場を探すことにしました。

一度オーナーに相談しましたがスタッフ間の問題はスタッフ同士で解決してくれと言われ、諦めました。(さすが海外!)

その次に会った別のレストランオーナーがとても素晴らしいオーナーだったんです。

新しいオーナーは日本人で、沢山のレストランや工場を持っている大オーナーでした。そこはSydneyCBDにあり、アジア人のお客さん(主に中国韓国系)が多く、前のレストランとは全く違った雰囲気でした。働いているスタッフがとても多国籍で、仕事終わりのまかないの時間にはそれぞれの国の料理が出るなどとても素晴らしい経験でした。

このころ新しい出会いがあります。そう、恋愛です。

初めての日本人以外と恋愛

相手はオーストラリアと日本のハーフで身長は2メートルでした。会話は日本語でメッセージのやり取りは英語で勉強になる!と思った私はパブやレストラン等お誘いがある度に日程を調整してその時間を楽しんでいました。

海外には正式な彼氏彼女となる前に”デーティング期間”というものが存在します。そのデーティング期間、両親や友達に合わせたりお泊り等日本人のももきちにとっては何か違うのか分からない期間がありました。

私たちはデーティング期間に入っており、やはり彼氏という存在でないと何だか本気で対応できないと思った私は「オフィシャルになりたい(正式に彼氏彼女になりたい)」と伝えます

「自分は日本人だしデーティング期間という関係性のままで恋愛はできない。もし私と一緒にいたいと思ってくれているのならオフィシャルになろう。」

その後無事オフィシャルになった後、初めてのクリスマスを迎えます。そう。これが大地獄でした。

涙のクリスマス 文化の違い

オーストラリアではクリスマスは家族で集まり共に休暇を過ごす期間で、親族一同おばあちゃんの家や貸別荘等借りて集まり数日を過ごします。雰囲気は日本の年末年始です。

彼のお母さんからクリスマス休暇に一緒に来たら?という電話をもらい、(ニュージーランド人のお母さんは日本の大学を出ている事から日本語ペラペラ)仕事を4日休み彼のお母さんの家へ行きました。

Sydney中心地から高速道路で4時間。誰いない美しい湖や、野生のクジラやイルカを見る事が出来るとても素敵な場所でした。

この期間は赤い服がドレスコード。そんな決まりも初めての体験からとてもわくわくしていました。

ただこの休暇に入る数週間前、お母さんから

「ももきち、このクリスマス休暇に来るなら彼と英語で会話する勉強をしなさい。この休暇に来る人たちは誰も日本語を話さないし、英語以外通じないよ。まだ期間はある。準備してきなさいね。」

と、念押しされていました。

そう。私はこのお母さんからの言葉をもっと真剣に考えればよかったんです。

この場に来た親戚はアイルランド、オーストラリア、フィリピン。そう、もう何も理解できないんです。

最初は彼が間に入って通訳してくれていましたが、彼も久しぶりに会えた親戚との話に夢中で私は1人。

3泊4日のクリスマス旅は涙と自己嫌悪で終わり、家族と馴染めなかった私はフラれ最悪の期間となりました。

学んだことは、

この悔しさをバネに前進しよう!

これは思い出すだけでも心が辛くなるエピソードですが、自身のこれ以上ない悔しい経験の一つとして成長できたのではないかと思っています。

あれから2年経ってこのブログを書いていますがあの頃この悔しさを経験していて良かったなと思います。ありがとう!当時の私

コメント

タイトルとURLをコピーしました